理事長室

歴史から学ぶ~時代を超えて~

  • 2020.5.18
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 少し整理をしたいと思います。加藤清正は城下町熊本の骨格を完成させました。それは400年の歩みに大きな恩恵を与えてきました。城下町建設当時の大きな課題は二つありました。一つは薩摩の強兵に備える堅固な城にすること。一つは新時代に適応した新たな物流システムを導入することです。優れた都市プランナーとして、清正はこの課題を見事に克服した城下町づくりに成功しました。
 しかし、弱点も同時に引き継いでいます。身近な例では、熊本市内の道路にはクランクが多く、走りづらい道の原因になっています。これは清正が作った防御のための仕掛けの一つです。上通と下通とは微妙にずれています。藤崎宮電鉄の入り口部分もそうです。
 熊本平野全体を有効活用する視点で見れば、熊本城は西に寄りすぎています。南は土地が低く、安易に開発すれば災害リスクが増大します。人口増に伴う、成長動線は自然と白川の上流に向かいます。結果として、熊本市は全方向ではなく北東に伸びた市街地が形成されました。そしてこれに沿って交通の導線も伸びます。これが、交通渋滞などの弊害を生む大きな元凶になっています。陸の玄関であるJR駅が熊本平野の一番西側に、空の玄関である空港が一番東側にあります。両者の連絡が悪くなるのは当然です。ただ、これは清正の責任ではありません。自動車も、飛行機も、熊本が80万人都市になることも400年前に想定できるわけがないからです。
 同様に将来の熊本がどのようになるか明言できる人はいないでしょう。しかし将来の流れを読み、その流れに適応した地域づくりをすることは可能です。清正の時代はまさに時代の転換点でありました。1500万人だった人口は100年後の元禄時代には3000万人と急増します。各地に城下町が出現し、都市市民的な新たな文化、消費が生まれました。清正はそのような状況を先取りして、主要産物である米の流通を含めた生産性を飛躍的に高め、後世の世代に大きな恵みをもたらしました。
 状況は大きく異なりますが、現在も時代の大きな転換点にいます。日本の人口は逆に今後100年で半減しそうな状況です。当然、国内市場は縮みます。新たなターゲットは人口や経済が拡大しているアジアを筆頭とした発展途上国です。問題はどこに活路を求めるかの目利きが肝になります。新型コロナウィルスで大きな挫折を味わっていますが、観光を主としたインバウンドがその本命と考えます。
 このインバウンドの流れを熊本が取り込むためには、熊本空港の国際線の整備が最優先に必要でしょう。さらに、空港からのアクセスを新たな軌道系のJRでつなぎ、インバウンドの満足度(生産性)を高める構想が県から出されました。これは明治時代に熊本駅設置以来、ボタンの掛け違いをしてきた熊本の都市計画の弱点を一気に取り戻す大きなチャンスであり、50年後、100年後の礎になる投資であると期待をしています。一事業の赤字の可能性で止める話ではありません。知恵を出せば、赤字にならない工夫はいくらでも出来ると思います。
 遺産には恵みもあれば、厄介なものもあります。歴史を後戻りはできませんが、この遺産は将来の世代に引き継ぐことになります。今できる最善の道を選択して欲しいと願っています。